ふみにっき

本当は怠け者なのに日々働き者のふりをしている学生の日記です

LGBTQプラス!

私、大学の授業で「ジェンダースタディーズ」というものを取っているのですが、先日、ReBit (http://rebitlgbt.org)というNPO法人の方たちが、出張授業に来てくださいました。

 

以下、ホームページより、

「ReBitはLGBTを含めた全ての子どもが、ありのままの自分で大人になれる社会を目指すNPO法人です。」

 

ああ良いな、素敵だな、って思いました。

私はあまりLGBTについて詳しくなかったのですが、なんとなく近くに感じてはいて、LGBTの人のお話を聞いてみたいな、と思っていました。

なので、今回の授業は、本当に素晴らしい機会だったのです。 ありがたやー。

 

LGBT」という言葉自体は最近よく聞くようになりましたが、もう一度おさらいしてみます。

 

L…レズビアン (女性同性愛者)
G…ゲイ (男性同性愛者)
B…バイセクシュアル (両性愛者)
T…トランスジェンダー (性同一性障害を含む身体と心の性が一致しない人)

 

ふむふむ。

では、LGBTではない人たちはみな「シスジェンダーヘテロセクシュアル」なのか? というと、そうではない。

 

(シスジェンダーとは身体の性と心の性が一致している人。 ヘテロセクシュアルとは異性愛者のことです。)

 

授業に来てくださったReBitの方が、こういう表現をしていました。

 

「性はグラデーション」

 

…! なるほど! とすごく腑に落ちました。

 

シスジェンダーもいればトランスジェンダーもいて、シスジェンダーの中にも同性愛者がいるし、トランスジェンダーの中にも異性愛者がいますよね。

M to F(Male to Female…男性の身体をもって生まれてきたが心の性は女性、というトランスジェンダー)の人が数百人、数千人いるとして、みんながみんな、恋愛対象は男性でしょうか。

もちろん、女性が好きだというM to Fの人もいるでしょう。

 F to Mの人にだって、同じことが言えるはずです。

 

身体や心の性が何であれ、恋愛対象が必ずしも異性とは限らない。

それに、恋愛対象がないという「アセクシュアル」だって存在するし、はたまた性とか関係なくどんな人も恋愛対象になる「パンセクシュアル」の人もいるのです。

身体の性、心の性のほかに、「好きになる性」というのも人それぞれ、ということ。

 

最近、「LGBTQ+」という言い方もあるようです。

Qというのは、Questioning(クエッショニング)。 自分の性に対して疑問があったり、悩んでいたりする人のこと。

+ は、LGBT以外の、色々なセクシュアリティ

Xジェンダーや、先に挙げたようなパンセクシュアル、アセクシュアルノンセクシュアルもあるし、インターセックスというのもある、他にも、色々!

 

と、いう話を今回初めて聞いた私が、えらそうにブログに書きまくってるのも何なのですが…

 

一番思ったのは、

色々あって良い。

そして、

全てをラベリングしようとしなくて良い。

ということです。

 

みんなグラデーションの中にいるのだから、明確に名前をつけて分けるのは難しいし、そうしようとする姿勢が、実はあまり良くないんじゃないか、と。

 

明確に分けようとして、どれにも分類できないものがあった時、どうなるか。

「その他」として  いっしょくた  にされ、「よく分からない変なもの」扱い、され兼ねないのでは?

現に、LGBTQ+の人たちは、「性的"マイノリティー"」と呼ばれ、未だに少数派扱い、されていますよね。

確かに少数派かもしれないけれど、そう呼ぶことによって、「多数派」(おそらく、シスジェンダーヘテロセクシュアル)との差異を際立たせ、壁をつくる、つくろうとしている、という気がします。

どうしても人間は、多数派をスタンダードだと捉えがちですよね。

そもそも、差異なんて、あって当たり前なのに。

 

そして、もう一つ。

性はグラデーション、と言いましたが、性という分野に限らず、人のあり方そのものがグラデーションだ、と思うのです。

分かりやすい例でいうなら、障がい。

以前、こちらの記事

http://fmi5.hateblo.jp/entry/2017/05/27/182750

にて、自閉症の兄がいることを書きました。

兄と自分の関係は、少数派と多数派、障がい者と健常者、なんかじゃない。(こうして書くのも憚られる表現です。)

兄も自分も、グラデーションの中のどこかにいる一人の人同士、なのです。

 

大人と子ども、髪の長い人と短い人、運動が得意な人と苦手な人、働いている人といない人、車いすの人と自分の足で歩く人、コミュ障の人とコミュ力の高い人、そして、男と、女と、トランスジェンダーと、Xジェンダーと…

 

全部、グラデーションのどこかにいる、一人一人です。

グラデーションは無数の色を含んでいます。

青色系、赤色系、白色系…そういうのは確かにあるでしょう。 でも、明確に線が引かれていて、ここから青、ここからは赤、という風にはなっていない。

 

こういう認識は、正直とても難しいとは感じます。

人それぞれ見た目に明らかな違いがあるし、海外に行ってみれば全くの「異」文化。 一体どこがグラデーションなのか? と、考えてしまう。

でも、そういう捉え方が出来なければ、いつまで経っても私たちは差異に拘泥して、スタンダードをつくり出そうとしてしまうのではないか。

果たしてそれで、心地よく息を吸って生きていけるか。

 

 

難しい問題だからこそ、こうして私も自分の考えを吐き出してみて、ささやかながら世界に発信してみるのです。

 

よろしければ、何かしらのフィードバックをいただけると、とても嬉しいです。

 

すべての人が、自分を含めすべての人を肯定できるようになることを願って。