ふみにっき

本当は怠け者なのに日々働き者のふりをしている学生の日記です

自閉症の兄と生きてきて

私には2つ上の兄がいます。

自閉症と知的障害を併せ持っています。

小さい頃から一緒だから、自閉症も知的障害も、私にとってはふつうのものです。

でも、兄がいたから色んな障がいを持っている方と出会えたし、「障がいってそもそも何なのか」とか、個性の幅とか、色んなことを考えられるようになったと思います。

 

私は大学で主に登山のサークルを頑張っていますが、福祉のボランティアのサークルにも入っています。  

そこでも本当にいろんな方と出会えます。

小さい頃から、自閉症協会の集まりとかイベントについていっていたので、私がたくさん触れ合ってきたのは自閉症の方が多いのですが、ボランティアのサークルでは身体に障がいを持っている方とも関わりを持つことが出来ました。

車いすを押したことはなかったのですが、大学でサークルに入ったことで、車いすを押させていただく機会も多いです。

これもなかなか、奥が深い!

日々、勉強なのです。

 

現在、両親はまだ現役でバリバリ働いているので、特別支援学校を卒業してからの兄は、通所生活を送っています。

その施設が家から遠くて、送迎のバスを利用して何とか通っているところです。

都心なら、そういった施設がもっと多くて通うのも楽なのかもしれませんが、千葉の田舎に住んでいるので、そうした施設は大体が奥まったところにあります。

これはまあ、言ってしまうと、差別の名残なのでしょうねー。

兄が通っていた特別支援学校も、なかなかの遠さでした。

あえて隔離して建てた、のでしょう。

それに気づいたときは、幼心にとても寂しい気持ちになったものです。

世間の多くの人は、兄たちを受け入れてくれないのかな、と。

ボランティアのサークルに入って、理解のある人とたくさん出会って、「世の中にはまだこういう人たちがいるんだ!」と嬉しくなったのですが、それもつかの間、相模原のあの事件が起こりました。

今でも信じたくない。 信じられません。

特に母は、ショックが大きかったようです。

事件の凄惨さもさることながら、容疑者に「共感する」人が、一定数いた、ということ。

「気持ちは理解できなくもない」というような、言葉。

 

どうしてどうして、何でなの、そんなに兄たちのような存在は、あなた達にとって目障りなの? だからいなくなってもいいと言うの?

 

私は非常に混乱しました。 家族の側であるからこそ、フラットな立場でものを考えるなど、到底無理だったのです。

でも、世間に優しさを求めるのは、なんか違う。 そういうことじゃない。 理解を押しつけるのも、絶対にやってはいけないこと。

何が問題なのか、サークルの友人と考えたりしました。

両親とも少し話をしましたが、やはり家族で話すと偏っていきそうで、あえてあまり話し合いませんでした。

驚きも悲しみも怒りも、ごちゃ混ぜだったのですから。

 

一呼吸おいて、やっと私は、「受け入れたくない人がいること」を受け入れることが出来ました。

その点で、あの事件は私に、新たな気づきを与えてくれたのです。

それまでずっと、兄中心、で考えてきた。 障がいは生まれ持ったものなのだから、配慮すべきは周りの人だと、思っていたのです。

でも、そんなのとんでもない、間違っていたと思います。

障がいがあるとかないとか、関係なくて、特別扱いを求めるのは、私たちのエゴなのでしょう。

障がいについてよく知らない人がいるのは仕方がないこと。 知る機会がないのだから。

知ろうとしてくれる人がいたら、それは嬉しいことです。 喜んで兄たちのことを教えます。 

そうした知識を得ることが個人の自発性に委ねられている以上、求めすぎてはいけないのでしょう。

大人になる前にそう思えるようになって、良かったなー。

 

なんか、上手く言えないのですけど、友人や先輩と話していて、

「障がいとか、そういう括りじゃなくて、一つの個性として見てくれる人が増えたら良いよね」

という言葉が、お互いに出ました。

 

障がいというものを、優れた個性とも劣った個性とも捉えずに、ただ個性、人はみんな違うという当たり前のこととして思ってくれる人がいたら良いよね、と、私は思うのです。

 

これ以上書くと、どんどん難しい話をしてしまいそうなので、この辺でやめます。笑

今の私の気持ちをだーーーっと書いてしまったけれど、何人かでも読んでくれたら嬉しいものです。

 

これからどうやって、兄とより楽しく生きていくかも、考えているところです。

また兄の話で記事を書くと思います。

そのときはまたお付き合いくださいませ!

 

ではでは。